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第7回 『地球のどこでも カヨチャンネル』特別編

 今回の『モノ見聞録』は、特別編として 嘉穂無線株式会社 副社長 柳瀬隆志と山本華世さんの対談をお送りします。
  九州ローカルを中心に23年間キャスター、タレントとして活躍し、福岡県内知名度調査では認知度94%という驚異的な数字をたたき出した 山本華世さん。ニコニコ動画公式チャンネル『地球のどこでも カヨチャンネル』内の番組『人こそ宝』にて放送されたこの企画では、普段『モノ見聞録』ホスト役を務める柳瀬が、インタビューされる側の立場で対談に臨みました。

  • 1 「『グッデイならできる』。
        やっぱり福岡のみなさん、そうでしょう」
  • 2 「辞めたいとは思わなかったですね。
        辛いことには耐性があるので(笑)」
  • 3 「オリジナルって、やりだしたら止まらないんですよね」
  • 4 「自分を律することができてこそ、自由は与えられる。
        そんな会社になったらいいな、と思います」
  • 5 「ものづくり好きなんです。
        そういうことを見直さなきゃいけない時期だと思います」

華世さんこちらのコーナーでは、いろんなゲストの方にご出演いただき、お話を根掘り葉掘りお聞きすることになっています。今回のゲストは、もう、個人的にめっちゃお話をうかがいたかった、『グッデイ』の副社長でいらっしゃいます(拍手)。
 柳瀬隆志さん。よろしくお願いします。

柳瀬よろしくお願いします。アンパンマンの作者と同じ名前です。

華世さんうわぁ、そうだよね。やなせたかしさん。やっぱり小さい頃から言われてました?

柳瀬ええ。小学校に入って最初のクラスで早速言われました(笑)。

華世さん今じゃ、福岡にアンパンマンミュージアムまでできましたね(笑)。

1 「『グッデイならできる』。
    やっぱり福岡のみなさん、そうでしょう」

華世さん今回はほんとにありがとうございます。おかげで本社におじゃまできました。私はもうかれこれ若い頃から、長尾店、桧原店に行ってるんですよ。けっこう歴史、古いですよね。1号店はどこなんですか?

柳瀬ええ。1号店は、太宰府インターの横にある大野城店です。

華世さんああ、あそこが1号店。今は何店舗あるんですか。

柳瀬62店舗です。福岡を中心に、一番東は山口で、大分、熊本、佐賀にあります。

華世さんすごい数ですね。

柳瀬会社は、父が2歳の時に祖父が創業したんですよ。嘉穂郡(現在は飯塚市)で創業したので、『嘉穂無線』という社名なんです

華世さん『嘉穂無線』って、嘉穂郡から来てたんですね。

柳瀬ええ。創業は1949年なんですが、もともと祖父は軍人で、無線の教官をしていたので、終戦後、無線の知識を活かして、商売を始めたんです。日本橋とか秋葉原で部品を仕入れて、リュックに詰めて帰ってきて、自宅の軒先で売っていたそうです。4畳半くらいのスペースだったと。

華世さんガレッジストアみたいな感じですか?

柳瀬そうです。そこからスタートして、電気製品を売るようになって、電気屋さんとして大きくなったんですね。『デンキのカホ』という名前で店を出して、店舗を増やしていきました。

華世さん『嘉穂無線』というと、私は天神にあるイメージだったんですけど、いくつか店舗があったんですね。

柳瀬ええ、数店舗ありました。私は1976年生まれですが、77、78年頃に事業の多角化をしようということで、そのひとつとしてホームセンター事業を始めたんですね。それが『グッデイ』です。

華世さんそうだったんですね。
 早速コメントが来てます、「グッデイならできる」。やっぱり福岡のみなさん、そうでしょう。コマーシャルイメージ、大きいですよね。
 私は福岡から出たことないので、東京なんかに行くと「なんでグッデイないと?」って探してしまう、みたいな感じありますね。

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株式会社プロトリーフ 代表取締役社長 佐藤 崇嗣(さとう たかつぐ)氏

 福岡市生まれ。中村学園短期大学卒業。学生時代はバスケットボールの国体代表として活躍。現在テレビは「ナイト・シャッフル」・「めんたいワイド」・「となりのマイスター」、FM福岡「山本華世のサタデー・スパイシー・ナイト」に出演。母校や福原学園の特別講師も務める。 ㈱カヨインフォメーション代表。 日田市ひた生活領事館総領事。 インターネットテレビ「地球のどこでも カヨチャンネル」開局。

嘉穂無線株式会社 副社長 柳瀬 隆志

 1976年生まれ。2008年、嘉穂無線株式会社に入社。売り場経験を経て、09年取締役社長室室長に就任。「グッデイならできる」のフレーズで親しまれるCMの制作に携わる。10年に取締役本部長、13年、代表取締役副社長兼営業本部長に就任し、現在に至る。