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第1回 シャボン玉石けん編

 1910年、北九州市若松区で「森田範次郎商店」創業。100年を超える歴史を持つ。1974年より、事業を「無添加石けん」の製造販売1本に。以来、徹底的に無添加を追求し、高品質で安全な石けんを作り続けている。その種類も増え、今では洗濯や入浴をはじめ、あらゆる「洗う」をサポート。また、新たな環境保護への取り組みも推進しながら、「安全・安心」を発信し続けている。更に地域活動への参加など、地域との共生にも力を注いでいる。

柳瀬当社には、御社の商品がたくさん並んでいます。御社のこと、商品のことをもっと良く理解して販売したいと思い、今回の対談をお願いしました。今日はよろしくお願いします。

森田社長こちらこそ、よろしくお願いします。

1 合成洗剤から無添加石けんへ―究極の決断と信念

柳瀬先日、『「シャボン玉石けん」の挑戦』という本を読ませてもらったのですが、正直驚きました。合成洗剤の販売をやめて無添加石けんに切り替えたら、売上がたったの1%になってしまったと書いてありましたが、切り替えるにあたっては、大変な決断があったのではないかと思います。御社の歴史も含めて、その辺りのお話を聞かせてください。

森田社長 当社は、私の祖父が開いた雑貨店からスタートしました。その後、石けんの特約店になったのですが、合成洗剤の販売に切り替えて業績を伸ばしました。再び石けんを扱うようになったのは、当時合成洗剤を納めていた国鉄から注文があったからです。「合成洗剤で車体を洗うと錆びやすいので、無添加の粉石けんがほしい」と。

 この時初めて「無添剤」という言葉に出会いました。当時、石けんにはいろいろな添加物が入っていて、JIS規格が「無添剤」と認める、純度の高い石けんはどこにもありませんでした。そこで父は、製造を委託していた長崎(佐世保)の工場に泊まり込んで、自分達で「無添剤石けん」(今で言う「無添加石けん」)を作ったのです。

 そのサンプルを自宅で試しているうちに、父自身が10年来悩んでいた皮膚の湿疹が治ったというわけです。その後、自社の合成洗剤を使ったら1日で湿疹が出た。その時初めて合成洗剤が悪いと気づいたのです。自分の肌で体験したのですから、衝撃だったと思います。

柳瀬だけど、その頃会社は合成洗剤で儲かっていたという、ジレンマが生じたわけですね。

森田社長そうなのです。従業員も100人ぐらいいて、利益も出ていました。でもやっぱり、自分達が作った無添加石けんがいいと感じていたので、街頭でサンプリングしてみたのですね。すると、予想以上の手応えがあった。そこで小売店や問屋さんに売り込もうとしたのですが、「こんなもの売れないよ」と。当時は、合成洗剤や化学物質は新しくて画期的なイメージで、それに比べて石けんは古くさいというわけです。流通に乗らなければ商売にならないので、しばらくは、そのまま合成洗剤を売っていたようです。

柳瀬それでもやはり石けん一本で行こう、と先代を決意させたものは、何だったのでしょう。

森田社長父が40歳くらいの頃、血圧が200以上になって緊急入院したことがあるのです。その時医師の口から言われたのは「あんた死ぬぞ」と。生まれて初めて「死ぬ」ということを意識したそうです。そして「人間はいずれ死ぬんだから、本当に自分のやりたいこと、自分が正しいと思うことをやろう」と決心したのだそうです。

 退院後、全社員を集めて「これから、合成洗剤をやめて、石けん一本でやっていく」と宣言しました。社員はみんな大反対でした。

柳瀬社員の立場からすれば、そんなことしたら大変なことになると思うでしょうね。

森田社長ええ。でも、そのまま反対を押し切ってやったんですね。そして、ふたを開けたら、毎月の売上が8,000万円から78万円になっていた。前の月のわずか1%です。

 でも、「うちの石けんを必要としている人がいる」という手応えと、「まだ誰もこの石けんのことを知らない。これから広げていけばいい」という希望があって、突き進んだのですね。

 その根底には、自分自身の身体が証明したのだから、絶対にいいものだという自信があった。もうひとつ、自宅の排水溝に糸ミミズがいるようになった。以前は糸ミミズがいたのに、いつの間にかいなくなっていたのです。糸ミミズが住めないような水を流していたってことですよね。それで、石けんは環境にもいいという確信を持った。そこから、当社の企業理念は「健康な体ときれいな水を守る」になったのです。

 父は、こんないいものが売れないはずはないと、今はまだ知られてないだけで、3年もすれば売れると本気で思っていたんですね。長くても5年くらい辛抱すればいいだろうと。それが17年もかかってしまいましたが・・・。従業員もどんどん減って、一番少ない時は5人でした。

柳瀬17年。途中でやめようとは思わなかったのですよね。やっぱり合成洗剤に戻ろうと思わないところがすごいと思います。

森田社長石けん一筋を貫いた一番大きな理由は、お客様の存在に支えられていたから。売上は少ないけれど、「おむつかぶれが治りました。ありがとうございました」といった声を聞くと、やめるわけにはいかないと。使命感に自分自身を奮い立たせていたのだと思います。

 それからもうひとつ。合成洗剤がよくないから無添加石けんを売っているのに、合成洗剤も併売してしまうと、商売のつじつまが合わなくなる。説得力、なくなりますよね。「健康な体ときれいな水を守る」という理念のもとに、石けん一本で通すべきだと思ったのでしょうね、きっと。

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シャボン玉石けん 株式会社 代表取締役社長 森田 隼人氏

 1976年生まれ。2000年、シャボン玉石けん株式会社に入社。01年取締役、02年取締役副社長就任。07年に、シャボン玉石けん株式会社及びグループ3社の代表取締役社長に就任し、現在に至る。先代から受け継いだ「無添加石けんへのこだわり」を軸に、新たな分野、新たな商品開発に挑戦しながら、「健康な体ときれいな水を守る」ための企業活動を拡充している。

 1976年生まれ。2008年、嘉穂無線株式会社に入社。売り場経験を経て、09年取締役社長室室長に就任。「グッデイならできる」のフレーズで親しまれるCMの制作に携わる。10年に取締役本部長、13年、代表取締役副社長兼営業本部長に就任し、現在に至る。