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第3回 住友スリーエム編

ポスト・イット®ノートをはじめ、暮らしやビジネスに役立つ様々な製品を作るメーカーとして、人々に広く知られている3M。アメリカ・ミネソタ州に本拠地を構え、日本では住友スリーエム(株)として、インダストリアル、エレクトロニクス&エナジー、建設・工事、生活用品、医療・食品と幅広い分野において、多種多彩な製品・サービスを世界中に送り出している。独自の企業文化の中で、人とアイデアと技術をつなぐ「イノベーション」を創出し続けている。

  • 1 イノベーションはこうして始まった~100年を超える 開発の歴史
  • 2 受け継がれる企業文化~ポスト・イット®ノートを生んだ自由と創造の文化
  • 3 シンプルさの中に革新的な技術が光る~3Mのものづくり
  • 4 技術革新と商品開発でDIYの可能性を広げる

柳瀬グッデイでは、文具・オフィス用品をはじめ、3Mさんの製品をたくさん扱わせて頂いています。御社の製品は、様々な分野で多くの人々に喜ばれ、親しまれています。今日は、いいものを常に生み出し続ける御社の理念や文化、メーカーとしての考え方や取り組みについて、お話をうかがいたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

中井(以下 敬称略)こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。

1 イノベーションはこうして始まった~100年を超える 開発の歴史

柳瀬まず、御社が現在のように幅広い分野で、多種多彩な製品を生み出すようになるまでの歴史について、お聞かせ下さい。

中井当社は1902年にアメリカのミネソタ州で創業し、約110年の歴史があります。元は「ミネソタ・マイニング&マニュファクチャリング」という社名でしたが、ここから3つのMを取って、3Mという社名になりました。マイニングとは鉱業のことで、やすりや砥石に使う鉱物を採掘する企業としてスタートしました。
 1914年にサンドペーパーを発売し、1921年には世界初の耐水性研磨材、いわゆる耐水性サンドペーパーを開発しました。
 当時、製造業の現場で研磨作業をする際に、大量の粉じんが出ていたものが、水と耐水性研磨材を使うことで粉じんが立たなくなり、劣悪だった作業環境が大幅に改善されました。これが、当時急成長していた自動車産業などで採用されるようになり、大ヒットしました。この開発は、当社のイノベーションの原点であり、エポックメイキングであると言われています。

柳瀬耐水性研磨材が100年近く前に開発されていたというのは驚きです。自動車産業に関連していたのですね。

中井はい。当社ではその開発がきっかけとなって、研磨材技術、接着・接合技術、コーティング技術などの進化が始まったのです。
 当時はツートンカラーの車が流行っていたのですが、塗装作業が簡単にできて、色の分かれ目のラインがきれいに出るようなものが作れないかという発想から、続く1925年、マスキングテープが生まれました。これは、当社が手掛けた最初のテープ製品であると同時に、世界初のマスキングテープでもありました。
 更に当社では、1930年にセロハンテープ、その延長線上でメンディングテープと、自動車産業にとどまらず、常に現場やユーザーの課題に向き合い、技術を磨き、世界初の製品を次々と世に出してきました。
 こうして、1つのアイデアを次のアイデアや用途に結び付けていくイノベーションの連鎖が始まり、それが途切れることなく100年以上、現在も色々な製品やサービスを創出し続けています。

柳瀬なるほど、御社のイノベーションの歴史はそこから始まったのですね。日本に参入されたのはいつ頃ですか。

中井1960年です。当時、外資系企業の日本への参入は厳しいと言われていた中、3Mはアジア初の現地法人として、日本企業との合弁会社「住友スリーエム㈱」を設立しました。
 以後、日本での開発、生産はどんどん進み、50年以上の歴史を積み上げてきました。現在では、世界中の3Mの中でも重要な開発拠点としての役割を担っています。アジア地域を引っ張りながら、グローバル市場に向けて、日本発のイノベーション創出に挑戦し続けています。

柳瀬現在、3Mさん全体と住友スリーエムさんの、社員数や製品数はどのくらいですか。

中井世界全体では約88,000人、日本では3,000人の人々が3Mで働いています。製品数は、日本だけでおよそ3万種類以上、世界では55,000種類以上を数えます。

柳瀬そんなにいらっしゃるんですね。開発と営業の割合はどうなっていますか。

中井詳しくはお話しできないのですが、日本では世界各国の3Mの中で2番目に多くの研究者が働いています。当社の売上に占める研究開発費の割合もかなり高いと思います。社員もみんな研究開発が3Mの成長の源泉だと思っているので、これが当たりまえだという雰囲気になっていますね。営業を強化しようという動きもありますが、やはり3Mのコアは研究開発です。そこへの投資は惜しみません。

柳瀬世界の様々な国で、同じテーマで足並みを揃えて開発や製造を行うのはなかなか難しいのではないかと感じますが、いかがですか。

中井海外とは、電話会議などを使って活発にやりとりをしています。3Mには、それぞれの国の得意分野を尊重しようという風土があるので、例えば、エレクトロニクスのコネクタやフィルム、自動車関係の製品については日本主導で開発を進めているものが多いのですが、アメリカをはじめ他の国が開発のイニシアチブをとる分野もあります。その分野について優秀な所が中心となって進めればいいという考え方なので、やり方は非常にフレキシブルですね。
 自前で研究開発を行えない国では、他の国で作ったものを販売します。国によって法律も違うので、その国の状況に合わせて、開発、製造、販売を行っています。

モノ見聞録
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ランドスケープアーティスト 石原 和幸氏

 1965年生まれ。1988年住友スリーエム株式会社入社。以来、家庭用品の営業及びマーケティング職、ビジネスアナリスト、シックスシグマ・ブラックベルトなどのスタッフ職、文具事務用品や家庭用品、DIY製品それぞれのマーケティングマネジメントなど幅広い職務を経て、2013年4月にコンストラクション及びホームインプルーブメント事業部長に就任、現在に至る。

嘉穂無線株式会社 副社長 柳瀬 隆志

 1976年生まれ。2008年、嘉穂無線株式会社に入社。売り場経験を経て、09年取締役社長室室長に就任。「グッデイならできる」のフレーズで親しまれるCMの制作に携わる。10年に取締役本部長、13年、代表取締役副社長兼営業本部長に就任し、現在に至る。