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第6回 プロトリーフ編

2000年、「緑あふれる未来をつくる環境創造企業」を目指し、家庭園芸用土のメーカーとして創業。環境に配慮した、安心・安全・高品質な「土」にこだわり、基本培養土から植物別の専門培養土まで様々な商品を開発。現在、園芸用土の分野ではトップクラスのシェアを持つ。さらに、直営店「ガーデンアイランド玉川」の運営や、卸事業、通信販売など、園芸に関する様々な事業を展開。人々に、植物を育てる喜びを提案し続けている。

  • 1 お客様に植物を育てる喜びを。基本は「失敗させない」こと。
  • 2 安全で高品質、環境に優しい。
      プロトリーフの「土」へのこだわり
  • 3 「潜在ニーズの具現化」と、それを伝える「情報戦略」

柳瀬御社は創業以来、家庭園芸用の土を中心に、メーカー、卸、小売と様々な事業を展開されています。グッデイの園芸部門でも、ヒット商品である『かる〜い培養土』をはじめ様々な商品を販売させていただいていますが、御社製品は斬新さとユニークさ、環境への配慮などがお客様から支持される理由ではないかと感じています。
 今日は、御社の「土」「環境」へのこだわり、商品開発に対する考え方などについて、会社を立ち上げられた佐藤社長と加能専務、お二人にお話をうかがいたいと思います。
 どうぞよろしくお願いします。

佐藤社長(以下佐藤)よろしくお願いします。

加能専務(以下加能)よろしくお願いします。

1 お客様に植物を育てる喜びを。
   基本は「失敗させない」こと。

柳瀬御社は、土のメーカーとして2000年に創業されたとのことですが、まずは創業の経緯についてお聞かせください。

佐藤私は大学時代に起業して、化粧品や洋服などの輸入販売をしていました。他の事業を模索していた頃、京都議定書が話題になり、今後は緑化ビジネスが伸びるだろうと考えました。もともとガーデニングが好きだったので、興味もありました。
 加能とは中学時代からのつきあいですが、当時彼が土と関わる会社で働いていて、この業界は伸びるから自分たちで会社をつくろうという話になったんです。それが2000年、プロトリーフのはじまりです。

柳瀬緑化ビジネスの中でも、「花」や「苗」ではなく、「土」に着目されたのですね。

佐藤土に注目したのは、我々の目的である「緑を増やす」ということは「土」に直結すると思ったからです。植物を育てるための基本は「土」なのです。
 1990年代、日本にもガーデニングブームが到来しましたが、それが去ってしまった原因は土にあるのではないかと個人的には考えています。花はイギリスから入ってきましたが、それが日本の土に合うのかといったところまではまだ未成熟だったのだろうと。我々は、「初心者でも失敗させない」ということを基本に製品を作っていますので、当時、我々の土があれば、ブームは終わらなかったかもしれないと思っています。

柳瀬創業後はどういった事業展開をされていったのですか。

加能プロトリーフが最初に注目されたのは、「六本木のオフィスで土のメーカー」という意外性だったのではと思います。創業当初、商品は2種類だけでした。最初の1年間はマーケティングに力を入れていて、売上高は1300万円くらいしかなかったですね。2年目には商品を30種類くらいに増やしました。

佐藤従来の鹿沼土、赤玉土という分類ではなく、バラ専用、パンジー専用といった品種別の専門培養土を20種類以上開発し、それまで地味なイメージで売られていたパッケージも、若者の目を引くような斬新なデザインにしました。

加能それまでは目立った差別化がされていない分野で、どれを選べばよいのか迷うお客様がたくさんおられた。そのニーズを解決するところに、大きなチャンスがあるのではないかと、我々は考えたのです。このように、お客様のニーズから発想するというのは、創業時からの当社の姿勢です。
 更に、名古屋、大阪などに営業拠点を設け、全国に営業網を広げたことで、我々の考え方に賛同してくれる小売店さんが徐々に増えました。少しずつ売上も伸び、注目度が上がりました。これが、当社の第一成長期だったと思います。

柳瀬創業して間もない時期に営業所を全国展開できたというのはすごいことですね。
これが実現できた要因というのは、何だったのでしょうか。

佐藤加能と私を含め創業メンバーである現役員4人はみな、中学校や高校の同級生なんです。創業以前もお酒を飲みながら事業について論じ合ってきたメンバーで、それぞれが拠点を担当し、しっかり役割を果たせたことが大きかったと思います。

柳瀬起業したばかりの時期は、商品開発の技術的な部分や、土の供給元との関係づくりといった点でもご苦労があったのではないですか。

加能当初は、買うも営業、売るも営業という状況でした。取引先とは、少しずつ売上が上がるにつれ、信用ができてきましたが、最初は極端に言えば、情熱や熱意で突破してきたところがありますね。技術的な部分は、植物栽培の試験場の方に監修をしていただいていました。

柳瀬現在のように、プロトリーフさんの名前が大きく広まった一番のきっかけは、何だったのでしょうか。

ガーデンアイランド玉川店

佐藤2008年、玉川高島屋のガーデンアイランドに出店したことです。ガーデンアイランドの店を、当時はまだそれほど知られていないプロトリーフがやるということで、業界の中でも話題になりました。社員数も20人に満たない状況でしたから、あれは失敗するぞ、とも言われたのですが、一気にそこを乗り越えて成功軌道に乗せたことで注目されるようになり、商品そのもののブランド価値も上がりました。

柳瀬出店の経緯というのはどういったことだったのですか。メーカーである御社が園芸店をしようと思われたのには、何かきっかけがあったのでしょうか。

佐藤土の事業をやろうとした時点で、小売店は必要だと思っていました。もともとガーデンアイランドにあった店には良い印象を持っていたので、何度も足を運んでいました。その店が我々のお客様で、商品を納めていたというつながりもあって、撤退される際に、我々にも出店のチャンスが巡ってきたのです。実際、当時の当社の財務状況では条件的にかなり厳しかったのですが、何とか熱意で押し通したという感じでした。

柳瀬厳しい条件で出店された結果、実際にお店は成功されました。その要因はどこにあるとお考えですか。

加能小さなことの積み重ねだと思いますが、例えば、レジ周りの改善があげられます。春はお客様が多く、レジが非常に混雑していました。後から来たお客様はそれを見て、またにしようと帰ってしまわれる。そこで、たった30〜40センチですが、人が通れるスペースを作ったところ、レジから人が出やすくなって混雑が改善されました。
 商品の価格帯をある程度統一したことも、レジのスピードアップにつながりました。更に、レジのスキャナをワイヤレスにしたら、店のどこででも処理できるようになりました。小さなことですが、このような実験と実証を繰り返してきたことが、結果的に成果につながったと思っています。
 また現在、約39000人の方に会員となっていただいていますが、会員制度の充実を図ったことも要因のひとつだと思います。

柳瀬なるほど。出店にあたっては、どのようなコンセプトやビジョンをお持ちでしたか。

佐藤お店のコンセプトは「お客様に植物を育てる喜びを提供する」ですが、その基本は、「初心者のお客様を失敗させない」ということです。お店には、初心者の方もプロの方も両方いらっしゃいますが、HOWTOを聞きに来られる方が非常に多いですね。植物の飾り方や寄せ植えなど、具体的な見本を参考にされることも多いようです。
 園芸では、バラについてはプロでも、他の品種に関しては初心者ということがよくありますので、初心者向けをベースにしながら、プロの方にも来ていただけるような店づくりに努めています。
 我々の店をきっかけに、初心者の方が植物を育てる喜びを味わい、セミプロになっていかれるといいなと思っています。

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株式会社プロトリーフ 代表取締役社長 佐藤 崇嗣(さとう たかつぐ)氏

 1972年生まれ。宮城県出身。大学時代に起業し、数々の失敗や成功を経て、2000年10月、地球環境に貢献する「環境創造企業」を志し、「土」の製造・販売を行う(株)プロトリーフを設立。代表取締役社長に就任した。いち早く販売網を全国に広げ、2008年にガーデンアイランド玉川店オープン、2009年卸事業、2013年通販事業スタートと積極的に事業を拡大。同社は成長軌道を描き続けている。

株式会社プロトリーフ 専務取締役 加能 裕一郎(かのう ゆういちろう)氏

 1973年生まれ。東京都出身。外資系電機・家電メーカー勤務等を経て、2000年10月、佐藤社長と共に(株)プロトリーフを設立。専務取締役に就任した。以来、「環境創造企業」をテーマに、安心・安全で環境に優しく、植物がよく育つ「土」の研究・開発に注力。同社オリジナルのユニークな商品を次々と創出し続けている。また、社長の片腕としてマーケティング、営業に尽力し、同社の成長を支えている。

嘉穂無線株式会社 副社長 柳瀬 隆志

 1976年生まれ。2008年、嘉穂無線株式会社に入社。売り場経験を経て、09年取締役社長室室長に就任。「グッデイならできる」のフレーズで親しまれるCMの制作に携わる。10年に取締役本部長、13年、代表取締役副社長兼営業本部長に就任し、現在に至る。